「先生」と呼ばれることの危険性
私が勝手に「師」と思っている方がいる。と言っても、その方にはかみついたり、反論したり、場合によっては上げ足をとってやろう、くらいに思っているので、余り弟子っぽい感じでもないのだが。
彼は、普段から「先生と呼ぶな」とあらゆる人に言っているようだ。正確には忘れたが、確か、「先生と呼んでしまうと、言う事をすべて鵜呑みにしてしまい思考停止になるからだ」と言うような意味合いだったように思う。また、逆に、「自分自身もそこで思考停止したくない」と言う気持もあるようだ。
最近、「講演」と言うほどの内容でもないが、人前で話す機会があった。自分の中ではまだまだなのだが、ありがたいことに(本当かどうかは知らないが)まずまずの評価を頂いた。
その時に「先生」と呼ばれたわけではないのだが、スピーカーに対する尊敬の念がもしかすると生まれたかもしれない。(全くないようだと、人前で話す私の価値もなくなってしまうのだが・・・。)
褒め言葉は素直にうれしいのだが、一抹の不安を常に感じる。自分の評価とかけられる言葉が違ってくるからだ。話した内容を、たとえば自分の中では、「今回は、まぁ70点くらいかな」と考えていたら、「すごいです。100点!」とか言われてしまう、ようなギャップ。
※「100点」までは褒められていないが、、、、
恐らく、世の中の「先生」と呼ばれている人種の多くはこれに気付かず、あるいは、最初は気付いていたが、いつしか麻痺してしまっているのではないだろうか?
「あなたの言っていることは100点です。」と言われている間にいい気になって、成長が止まる。思考が停止する。
一度止まってしまった思考は、動きだすまでにかなりのパワーがいる。セルのないエンジンをかけるようなものだ。エンジンは常に回していなければいけない、と言う事を第一条件に考えるならば、「先生と呼ばせない」と言うのも一つの選択肢かもしれない。
知識の切り売りで食べていける「コンサルタント先生」になれれば、それはそれで良いのだろうが、自分には全くもって遠い話である。
なんだか、プレッシャーのかかる世の中だな、しかし。




















Comments
プレッシャーは、かかる前に、適度に早めに自分でかける、かな~
Posted by: mitani3 | November 02, 2009 at 09:01 AM
mitani3さん、コメントありがとうございます。
なるほど、工夫されているんですね。
今は、他から自然にプレッシャーが(イヤでも)かかってくるので、良いのですが、常に油断しないようにしないといかんですね。
ありがとうございます。
Posted by: D | November 02, 2009 at 04:44 PM