臓器移植に関する法案が衆議院で可決された。A案、B案、C案、D案の四案のうち、A案が選ばれた、と言うことである。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090618/plc0906181324009-n1.htm
上記のサイトによると、
A案:「脳死は一般に人の死」と位置づけ、本人が生前に拒否しなければ、家族の同意で臓器提供を可能にする。また、15歳未満の臓器提供を禁じる現行法の年齢制限を撤廃し、子供の臓器移植に道を開く内容。
B案:移植可能年齢を12歳以上に引き下げる
C案:脳死判定基準を厳格化し、当面子供の臓器移植を認めない
D案:歳以上は現行法を維持し、15歳未満は家族の承認などを条件に提供を認める
と言うことだ。
幸いなことに、私の周囲で脳死の人はいない。だから、リアリティを持ってこの問題を考えられないのは確かだ。だから、合理的に考えることができる。
脳死は人の死か?と問われたらまずは次の質問を考えるだろう。
・回復する可能性があるか、ないか?
勿論、かなり高い確率で回復する(脳死状態だったものが、脳が復活する)のであれば、脳死を死とは認めない。
死とは、不可逆の変化であるからだ。だから、生き返ることができるのであれば、死を「死」と定義することそのものがナンセンスである。
確率がかなり低い(死んで蘇生する確率と同程度)であれば、やはり死と考えても良いのではないかと思う。
誤解を恐れずに書こう。
家族や周囲の感情を無視すれば、その人が生きていても世の中に何かの価値を提供できる可能性はない。(医学的ななんとか、は除いて)
一方で、自然界に存在すれば、ほぼ確実に淘汰されてしまう。
この法案の一つの争点は、「臓器移植ができるかどうか」である。一人の死がもう一人の生を救うことができる、とした時に、法律はそれを是認するかどうか、と言う重い問題である。
つまり、脳死を死と断定することで、世の中、少なくともほかの誰かに価値を提供できる可能性が出来る、と言う事でもある。
勿論、自分の家族がそうなったときに同じ結論を出せるかどうかはわからない。が、どの案であっても、「臓器移植は家族の同意が必要」と言うことと、恐らく、生命維持装置を外すかどうかについても家族の同意が必要になろうと思う。その点では、ほとんどのケースにおいて、現行と変わらないのではないか、とも思う。
この法案は12年先送りされていたらしい。言いかえれば、重要な問題に対して逃げてきた、と言う事なのかもしれない。それまでの12年何をやってきたのか、と言う話はあるが、一方で、共産党以外の全政治家が自分の意志で人の死について意思決定を下した、と言う点に関しては評価できる。(共産党は党議拘束をかけたらしい)
この法案によって、たとえば、今、脳死状態の子供を持つ人が社会的なプレッシャーから臓器提供しなければならない、と言うようなことになるかもしれない。あるいは、今まで助からなかった臓器移植待ちの子供が助かるかもしれない。恐らく、結果も賛否両論になるだろう。しかしながら、分からないから決めない、と言う態度では政治の存在価値はない。しっかり判断を下す。問題があれば調整すれば良いではないか。
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