そもそも論
「そもそもね、」とはじめるとなんだか偉くなったような気がする
実際は別に偉くもなんとも無く前提を蒸し返しているだけだが
ただ、「そもそも」ではじめるとちゃんとそもそも論を展開しないと、「お前のそもそも論はそもそも…」と言われてしまうので、注意が必要だ
たぶん、そもそも論を良く使う人は本質的にそもそも論が好きなんではないかと言う気がする
きっと自分の立ち位置を確認できないと気持ちが悪いのだ
そうに違いない
別に自分を弁護しているわけでは決してない
D
「そもそもね、」とはじめるとなんだか偉くなったような気がする
実際は別に偉くもなんとも無く前提を蒸し返しているだけだが
ただ、「そもそも」ではじめるとちゃんとそもそも論を展開しないと、「お前のそもそも論はそもそも…」と言われてしまうので、注意が必要だ
たぶん、そもそも論を良く使う人は本質的にそもそも論が好きなんではないかと言う気がする
きっと自分の立ち位置を確認できないと気持ちが悪いのだ
そうに違いない
別に自分を弁護しているわけでは決してない
D
人間は仕事をすることに生きがいを感じる生き物らしい。もう少し厳密に言えば、おそらく「誰かの役に立っている」と言う実感に幸せを感じる、と言うような回路が脳内かDNAかに組み込まれているのでは、と言う論調をそこここで見かける。
個人的に、大枠としてはその通りであると思う。
が、たまにはそれをペースダウンさせることも重要だとも思う。
先日、久しぶりに休日何もしなかった。厳密に言えば、バイクでランチを食べに行き、買い物に行き、ついでに夕食の素材を買い、合わせてワインも買って、家で料理を作り、食べながら、ワールドカップ予選を見、中村俊輔のフリーキックに叫び、ダラダラとテレビを見て、風呂に浸かり、布団にもぐってウトウトして、いつの間にか寝る、と言うそんな一日。
やることはいっぱいある。気になることもいっぱいある。あるが、そんなことは敢えておいておいて、何もしない一日を作る、と言うことも重要なのではないか。
そんな事をなんとなく思った一日だった。
プロ野球が好きと言うわけでも、Jリーグが好きと言うわけでもない。
でも、ついつい、日本代表と言われると応援したくなってしまう。
ここ数日で言えば、WBCで優勝し、バーレーンには勝って非常にうれしいことだ。愛国心、と言う事なのかもしれなり。
いずれにしても、ワールドカップにも言って欲しいものだ。
結構前からだが、「生ビール一杯」と言う価格付けを結構やっている。何か、手伝ったとか、貸しを作ったときの最小価格である。
いつから、生ビール一杯、と言い始めたかは覚えていないが、おそらくタダではお互い気が引けるが、かといって金を取るほどの事でもない、と言うようなことだったりとか、あるいは、仕事だから手伝ってもらっているが、さすがにここまで頼むと気が引ける、と言うようなケースの場合の価格付けだったと思う。
コンサルティングと言う仕事は値がつけにくい。理論的に言えば、価格付けには大きく三つの基準があり、顧客視点、自社視点、競合視点である。
コンサルティングで言えば、顧客視点とは、顧客の仕事に対する付加価値であり、顧客がコンサルティングによっていくら儲けられるのか?あるいは、どれくらいの作業を代替できるのか、という観点だ。自社視点とはもちろん、コストであり、コンサルティングのほとんどは人件費である。ただ、営業コストを含める場合もあるが。競合視点とは、競合のコンサルティング、もしくは、代替サービス等との価格比較である。
そう考えたときにやはり難しいのが、「顧客に対する付加価値」の根付けだ。アイディアは確かに付加価値ではあるのだが、そのアイディアそのものは、顧客の事業基盤がなければ利益を生み出さない。パワーポイント「だけ」では何の価値もないのである。そう考えれば、生ビール一杯から、数千万円(あるいは、もっと)まであっておかしくないとは思う。
正直言えば、「生ビール一杯」と言うときはほとんどタダでも良い、と言っている。個人的に人を助けるのが好きなのだろう。もう少し正確に表現するならば、自分の知恵や知識が人の役に立つ、という事実が好きなのかもしれない。人助け、と言うより人に感謝される、と言う事なのかもしれないが。
そう考えると、俺は儲からない性格なのかもしれない。
少なくとも「生ビール一杯くらい喜んでおごりたいよ」と言われる程度の付加価値は出していきたいものだ。
外出するときに時間が中途半端だと喫茶店に行く。喫茶店の中には勿論スターバックスも含む。(私はカフェと喫茶店を分類していない。私の中でニーズが同じだからだ。)
今日、エクセルシオールに立ち寄ったら、ほぼ満席だった。私の場合、喫茶店によるとパソコンを取り出して気になっていることをまとめたり、状況によってはその場で仕事をしたりする。コーヒーを飲みながら喫茶店で仕事をしていると、実は仕事の性質によってはかなりはかどったりする。(文書モノはかなりはかどる。逆に思考するモノはホワイトボードがないためはかどらない。)
しかし、ここまで人が多いとどういうことだろう、と言う気もする。不況で営業も回るところがないのか、単におやつの時間だと思っているのか、あるいは、全員俺と同様時間調整なのか。
ここにいる人たちはいったいどういう人なのだろうか?
ここ数年、だと思うのだが、論理的であるということ、Logical Thinkinという言葉が流行っている。類似語として、System Thinking、もしくは、Critical Thinking等もある。いずれも、論理的に思考して、問題の本質をとらえる、あるいは解決するための手法としてフォーカスされることが多い。
はっきり言えば、世の中のほとんどの事は論理的に説明できる。もっと厳密に言えば、前提条件をしっかり定義すれば、世の中のすべての事は論理的に説明できる。前提条件をあいまいにしておいても、ほとんどの事は説明可能だと思う。例えば、「愛」と言う感情がある。多くの場合、この感情が一番説明できない代名詞として、俺をダメ人間扱いしたい人が主張するのだろうが、それも説明可能である。ただし、前提条件をしっかり定義すれば、だ。
人間の脳のメカニズムはそこそこ解明されているだろうし、そうでなくても、生物の種を保存すると言うメカニズムからも説明可能だ。想像するに、「愛はそんな簡単なものでは無い。もっと深いものだ。」
はい、おっしゃる通り。深いと思います。ですが、それを深いと言ってしまうとわからないので、前提条件を置いてモデル化するのです。
それでは愛の本質はわからない?わからなくていいでしょう、分からなくてもかなり多くの事を説明できるのですから。
世の中で説明できないことは、まだ理論が解明されていないところである。物理学なども、万物が引力を有している、と言う大前提においてニュートン力学が成り立っているのだから。その前提はたぶん証明されていない。
と言いながら。実を言うと、論理的でなくても問題ないのではないか、と思ったりもする。私自身、論理を組み立てる、と言う点について、まだまだ感は強い。が、論理的な思考、論理的な説明ができなくとも、なんとなく雰囲気で考えられるし説明できるのではないか、と。
そう思わないとやっていられん、と言うのもあるし、そうであった方が世の中面白い、とも思うのだ。
春風が心地よい
プラットフォームに立っていると、適度な風が顔に当たるのがなんとも春を感じさせる
晴れているのだが、雨が降っている
いわゆる天気雨
雨はうれしくないが、春なのだから、少なくとも太陽は出ていて欲しい
いい季節になってきた
D
北斗の拳は、我々が少年の頃、みんなが憧れたアニメ/マンガの一つだ
ラオウ、トキ、レイ、雲のジュウザ辺りが当時の人気キャラだろう
北斗の拳で良く話題にあがるのがケンシロウが戦いの前に気合いを入れて筋肉で破ってしまうシャツの行方だ
大抵、翌週には直っている
今日、歩いていたら、筋肉が凄すぎたのか、闘氣をまといすぎたのか、背広のボタンがポンッと外れてしまった
実際は北斗の拳のようには再生してくれない。ケンシロウも針仕事するんだろうか?
ボタン付け下手なんだよなぁ…
…
…
誰がハート様だっ!
D
スーツを着なれていない人たちを見かける季節になってきた
外出して時間調整にマクドナルドによったら、リクルートスーツの人々が履歴書っぽいものをそれぞれが書いていて微笑ましく思ったものだ
微笑んでいる時点でおっさんなのかもしれない…
今年は各社とも採用を絞っていると聞く。大変な時代になったものだが、その中で勝ち抜くことも一つの糧なのかもしれない、とか漠然と思う。
本人達にしてみればたまったものではないのだろうが。
#だからなんだと言われても困る
D
またまた電車にて
ふと目を上げると、前の男性はR25を読み、また、別の女性がCouponLandを読んでいる
またさらに隣の男性は必死にiphoneだ
横に座っている女性も多分iphoneでゲーム中
以前に比べてフリーペーパーとモバイルの比率が高くなっている気がする
それが、消費者の意向の変化なのだろう
まぁ、何を今更って感じだろう
D
一般に、企業価値と言えば、企業が持つ資産が将来にわたって生み出すフリーキャッシュフローを(FCF)、その資産のリスクで現在価値に割り戻したもの、と定義される。上場企業においては、代替指標として、株価×株数があり、これは、「市場が正しい企業価値を考えられる」と言う前提でなりたっている。この前提から、資産のリスクを数値化する割引率は、市場のリスクを示すベータ値と、市場全体のリスクであるマーケットリスクプレミアムで表わされる。ここまではファイナンスの理論。
最近、何人かの方から、企業価値を経済価値以外で定義する、と言う考え方をうかがった。例えば、企業が生み出す幸せの総量を企業価値としたり、そうでなくとも、FCFだけでなく、労働分配率等も含めて生み出した仕事量で測る考え方などである。
ただ、敢えて言いたい。企業価値は経済価値で測れば十分であると。ファイナンス理論そのものはまだまだ出来上がった理論体系では無い、と言う感じは受けるものの、少なくとも企業価値の基本的な考え方はきわめて正しいと思う。但し、ひとつの前提があり、「人間は正しい意思決定ができる」と言うことである。
この議論になるときに、一番最初に出てくるのは、「人間は短期的な利益を追い求めてしまうため、例えば、地球を汚染するような企業活動も経済的には評価されてしまう」と言うような話だ。それは正しい。正しいのだが、その主張をする方には残念ながら、それは株価が適正では無い、と言う話をしているに過ぎない。マルチプル法と呼ばれる「現在の利益等の財務数字と株価は一定比率にある」と言う前提に立った株価算定方法があるため、短期的な利益が株価にインパクトを与えているのである。
しかしながら、例えば、中長期的に地球を汚染する企業が存在した場合、その企業が活動し続ける限り地球を汚染すると、どこかで地球が滅亡してしまい、FCFは小さくなる。だから、企業価値も下がるはずである。このあたりになると、割引率の議論も難しい。遠い将来の話はかなり割り引かれてしまって、ほとんど差にならないからである。
結局、いろいろな前提を置かないと成り立たないことには変わりないのではあるが、ただ、資本主義である限り、経済価値が重要な価値基準であることには変わりないことも確かなのではないだろうか?
久々に、バイクに乗ってみた。第三京浜から首都高(横浜)~ベイブリッジへ。
目的は大黒PAへ行く目的は無い。ただバイクに乗りたいだけだ。
久しぶりにベイブリッジの上を走ったが、やはり風が強いと怖いものだ。安定させるなら、いっそのことスピードを上げて安定させた方がいいのでは、と思うこともある。
大黒PAは、ベイブリッジを越えるとすぐに入口がある。らせん状に道が続いており、ほぼ720度回ると大黒PAにつく。
コーヒーでも飲みながら周囲を眺めてみたり。マクドナルドがあったので、ブレンドコーヒーを買って飲んだのだが、飲み終わったあとに捨てる場所がない・・・。なんか不親切だよなー、とか思って周囲を見回すと、何かビルが建設中である。
あ、ベイ橋が見えない・・・。あれが見えないとなると、観光地としての大黒PAは存在意義がほとんどないわけか。それで景観が、とか、日照権がとかそう言う話にはさすがに出来ないだろうから、驚いたものだ。何ができるんだろうか?
ベイ橋が見えない
意外に思う方もおられると思うが、私はホワイトデーを結構重要な日と位置付けている。理由はいくつかあるのだが、基本的にはビジネスコミュニケーションと下心の折衷案、と言うところだろう。
まず、前提としてはバレンタインデーにチョコレートを頂けること。これがそもそもの始まりなので、これが全くなければケアをする必要がない。ただ、このチョコレートの中でもここで論じたいのはいわゆる「義理チョコ」と呼ばれるもので、本命チョコと呼ばれるような物に対する対応の仕方の正解は全くわからない。
はっきり言えば、返さなくても良い。特に、ビジネスにあまり関係ないところでは無視しても良い。もちろん、「私は女性の評価が下がっても構わない」と言うことが前提になるが。
だが、特に、ビジネスに関連する、おもに言えば職場の女性にもらった場合にはケアが必要と考えている。ケア、と言うと相手に失礼にあたるが、こんなところで失点している場合では無いのである。
男性にしてみれば、
・ちゃんと返そうとするもの
・返す気/習慣がないもの
の二通りがいるはずである。が、後者になるとこの時点で失点だ。特に、「周りにちゃんと返してくれる男性がいる」等、女性側の期待値が上がる場合にはなおさらだ。逆に、最初から「この人は返さないだろう」と思われていれば、実は失点は少ない。
さらに、ちゃんと返す、としても、やり方を間違えると、実は返さないより大失点になる。個人的に大失点と考えるのは次の2パターン。
1) 重すぎるものを返す
2) 適当すぎるものを返す
1)の代表例は、価格が高いものや下着等である。価格が高いものは女性にとって重いし、下着等は軽いセクハラになる可能性がある。
また、2)の代表例は、チェーン系のケーキ店、さらにはコンビニである。チェーン系のケーキ店はそれほどの失点ではないが、「センスないねー」と思われる。コンビニは、センスよりも気持ちを疑われることもあるようだ。
※個人的にはコンビニのモノが悪いとは思わないのだが、女性の心理からすると、まだまだそういう声は大きいようである。
私の場合、たいてい次のようなルールで返すようにしている。
1) 個別包装で頂いた場合・・・1000-1500円程度のお菓子(ケーキ店で焼き菓子やマカロン等を買う)を返す
※先日、数人の女性に聞いたところでは、義理の場合は1000円くらいが妥当と聞いた。だから、私の感覚ではちょっと重いかもしれない。
2) 「みんなでまとめて」頂いた場合・・・数百円程度のお菓子(ケーキ店で焼き菓子やマカロン等を買う)を返す
さて、最初にビジネスコミュニケーションと下心、と書いた。まず、ビジネスコミュニケ―ションは、失敗しないこと。だから、なるべく事前期待値を上げないようにしながら、ちゃんとお返しする、と言う事をしておけば問題ないだろうと思っている。ここでの第一は「失点しないこと」。
一方で、下心とは、一般に言う下心とは少しだけ趣が違うかもしれない。販促、と言うよりも、ブランディングの一環ぐらいに考えた方が分かりやすいが、要するに、「センスいいねー」と思われる、と言う事を重視している。(はっきり言うが、義理チョコへのお返しで得点が出来ると考えるのは相当ハードルが高い)
だから、返す時に注意するのは、「どこで買うか?」
私の場合、利便性+ある程度のブランドを重視する、と言うことの両面を見ておき、行動範囲にいくつか選択肢を用意しておくようにしている。職場や自宅の近く、それ以外にも大きな駅周辺など。デパートがあると、あまり悩まずに何とかできるの良いだろう。
いずれにしても。
偉そうに書いているが、実は大失点をしているかもわからない。その時はもうしょうがない。しょうがないが、やはり顧客側である女性の声はリサーチしておく価値はあるだろう。
インターネットが世界中に広まった現在、知識はGoogleを検索すればすぐ出てくるため、もはや知識で差をつける時代ではなくなった。
と言う論調がある。確かに一理ある。情報が十分流通していない時代は知っている、と言うだけで価値を生んだものである。それが、調べれば分かることが増えてきたため、「知っている」ということだけでは何も生まなくなった。だから、これからは「思考力」が重要だ、KnowingではなくThinkingだ、と言う論調である。
全くその議論は正しいが、しかしながら、それでもやはり知識の量は重要だ。
結局、考えるベースをどれだけ持っているか、思考の枠をどれだけ持っているか、発想のヒントをどれだけ持っているか。調べれば分かること、は確かに多い。だが、それは裏を返せば「調べないとわからないこと」なのである。例えば、物は下に落ちる。これは万有引力の法則があるからである。しかしながら、物は下に落ちないケースがある。これは万有引力の法則はある一定条件下においてのみ成り立つ「だろうと思われる物理学上の定義」だからである。物理学の「法則」は、真理かどうかは分かっておらず、どうやらそうらしいことを定義したに過ぎない。物理を多少なりとも学んだことがあれば、常識だろう。
だから、物理学上の法則を用いた演繹的導出をしたとしても、それは物理学上の法則、と言う帰納的に導かれた前提を用いた帰納法に過ぎないとも言える。
要するに、そういう考えに思い至るかどうか、はどれだけ発想のベースとなる知識を知っているかどうかにかかっているのである。それは決して高度な学術的知識が、とか、業界特化した専門的な知識が、と言うことでは無い。とにかく総量の知識が多く、それがいかに体系だって頭の中に整理されているか、と言う事だ。
考える力は重要だ。だから思考力は鍛えなければいけない。だがしかし、それと同時に知識の総量も重要なのだ。しかも、極めて重要なのだ。
答えは良く分からない。
「金融危機の本質は何か?」と聞くと、さまざまな答えが返ってくることに驚く。「本質」と言うからには何か一つか、あるいは一つのメカニズムが提示されてしかるべきなのだが、さまざまな答えが返ってきつつ、しかもどれも納得感があるのだ。
市場原理に基づけば、多数の人が示す結果が正しい。どういう理屈かは知らないが、マーケットは自然に正しい結果を導き出すという。
ただ、市場が正しくない結果に導いたから今回の金融危機があるのだが。
この「みんなが正しいと思うこと」が積み重なって世の中が出来ていると思うと、世の中、意外と深い。
「とろとろ桃のフルーニュ」がキリンから発売された。先日、飲んでみたら、何か微妙な味はするものの、桃のドリンクである。
また、桃のカルピスも出るし、JT桃の天然水に至っては、Sodaだ。
季節、とは思えないのだが、桃がブームかもしれない。
桃のジュースと言えば桃ネクターのような気がする。桃もスモモも桃のうち、と言うやつだ。江川卓が過去にCMをやっていたあれだ。桃ネクターは一時期甘すぎるんではないか、と敬遠していたが、最近あれはあれでウマいと思う。もっとも、飲みたいときは糖分を取りたいときで、甘すぎる、と言うことはないのだが。
なんにせよ、桃ブームである。もう少しいろいろ試してみても良いかもしれない。
プッチンプリンとは、男の食べ物である。なぜ、男かと言われれば、食べ方を考えれば一目瞭然だ。
プッチンプリンの正しい食べ方は、上を向き、口を大きく開けて、口の上で「プッチン」とするわけだ。そうすると一口でプリンが食べられる、と言う寸法である。決して女子供に出来るような内容では無い。
さて、プッチンプリンについては、以前ハッピープッチンプリンについて述べた。ハッピープッチンプリンであれば、さすがに無理だろう、と思っていたが、ビックプッチンプリンであれば、当然一口で食べられるだろう、と思っていたのは事実である。
たまたま、先日ビックプッチンプリンを食べる機会があったので、試してみた。
さすがに怖いと言えば怖いが、いつまでも怖がっていてはビックプッチンプリンを食べることが出来ない。だからこそ、今やるしかない。
プッチン!
あ!口の中に入りきらない!!!
なんと、ビックプッチンプリンであれば十分口に入ると思っていたが、あふれた。
うーん、意外な事実。
氷山モデル、とは、通常、「行動として見える部分のそこには価値観等の見えない部分が存在し、それら全体が個人を形作る」と言うような観点で語られ、組織行動学などでは結構有名なフレームワークだと思う。
多くの人は、氷山の一角を見て、その下にある大きな塊を「類推する」のである。
だから、海面上に出ている「行動の部分」は良い方が良いに決まっている。そうすれば、海面下はみんなが勝手に良い方に想像してくれるからだ。
しかしながら、そこがあまりにギャップがあると認知的不協和が起きる。自分が思っている状態と実際に大きなかい離があり、そのかい離を認知できずにギャップに不可解に苦しむ、というこれまた行動心理学辺りで使われる言葉ではないかと思う。
このサジ加減は絶妙であるべきだが、ただサジを自分では振れないところにもどかしさがある。
WBCの開幕が間近に迫りつつも、イチローの打率は低いままである。1割3分、らしい。
通常、ここまで結果を残せなければ、スタメン落ち。守備の良さを考慮に入れるなら、下位打線に落とすだろう。しかし、原監督は上位打線で使い続けている。
何故か?
もちろん、期待があるからである。今までの実績から考えて、彼が活躍しないわけがないからである。
イチロー本人にとって、このような期待はプレッシャーにならないのだろうか?原監督の期待だけでは無い、全国民、少なくともWBCに興味がある多くの国民にとってはイチローに期待しているはずだ。その1000万人規模の期待を彼はプレッシャーに感じて、余計に調子を崩すだけなのではないか?
プレッシャー、大いに結構なのである。彼自身、それくらいのプレッシャーで結果を出せないようなら、あの場にいないだろうし、あれだけの大口は叩かないであろう。それが彼のプロフェッショナリズムであり、それがあるからこそ我々は彼に期待するのである。
有言し、期待を大いに抱かせ、それ以上の結果を残す。それがプロと言うものなんだろうな。
プロフェッショナルとはかくも難しい。

ファミリーマートのエクレアが人気だ。
島田紳助がテレビで話してから、人気が続いているらしい。
せっかくなので食してみた。
うまい、と言えばうまい。
甘さが控えめなのが、いいのかな。
近くのファミリーマートでは、「人気のため売り切れです」と言うポップも用意しているし、「島田紳助がテレビで…」と言うどうやらパワーポイントを印刷したらしい紙も貼ってある。
あまり売れ過ぎてしまうと需要変動についていけない、と言うこともある。こういう急激なブームは対応が難しいが、どうするかは見ものだ。
ちなみに、エクレアのチョコはビターで、生クリームとカスタードクリームは全体的に甘さ控えめな感じがする。コストパフォーマンスは高いと思うが、単純なうまさ、で言うと、プチゾーのシュークリームの方がいいな。もちろん、倍くらいの値段がするから、単純比較は難しいのだが。
ブランディング、とは、ブランドを構築する行為の事だ。ブランドとは、ブランド発信者が受け手からある一定の信頼を得ることである。平易に言うと、「あいつって、あんな奴だよね」と思われること、これがブランドが構築された状態である。
一般に、「ブランド品」と言うと、ラグジュアリーブランドの事を指すが、必ずしも高級ブランドである必要はない。可能であれば、「受け手にとって有意であり、しかもユニークであること」が重要である。
これからブランド論を展開しよう、と言う話では無く、ごくごく個人の話だ。いわゆる「自分ブランディング」と呼ばれるような領域である。多くの人は、たいてい「あいつってあんな奴だよね」と思われており、人によってはブランドが立っていることがある。どちらかと言うと、「有意」はなく、「ユニーク」だけで立っているケースが多い。
以前、ある人から、「就職を機に、なりたい自分になるよう、服装や話し方を気をつけていたら、いつの間にかそう見られるようになった」と言う話を聞いた。その人がもともとどうで、どのように変えようとしたのか、と言うところまでは教えてくれなかったが、どうやらコントロール可能らしい。
ブランドは、一般に歴史が重要である。もう少し言うと、ブランドと接するあらゆる接点で同じメッセージを伝えているといつの間にかそのブランドが浸透しているのである。翻って個人で言えば、話している、あるいはこのようなBlogも含めて、あらゆる情報がその個人のブランドを構成している。
難しいのが「ブランドチェンジ」である。上述の人は、「就職を機に」と言うから、昔の友達は別の印象を持っているのだろうが、職場では全く別人格になった、と言うことだろう。
基本は過去からの積み上げでブランドが出来上がるのだが、なまじっか過去を知られていると、ブランド構築のためにとっている行動も、違うメッセージを受け取る、と言う事なのかもしれない。
Recent Comments