Devils in the detail

社内文書、社外文書、ともに作成すると「レビュー」というものがある。これは私に限らず、多くのビジネスパーソンが体験しているごくごく当たり前のことだ。
通常、レビューは文書の質を高めるために行うものだ。だから、てにをは等の細かい点ではなく、大きなストーリー、骨子の部分を指摘するのが基本である。
だが、中には細かい人もいる。この表現はどうだ、とか、てにをはがおかしい、とか、フォントが違うとか、そういった類の。
骨子の部分をレビューして欲しいのに、瑣末な部分しか指摘されないと、「そもそもレビューは時間の無駄ではないか」そう思えたりする。

元々、私は細かいことにこだわらないタイプである。最近はほとんどないが、システム屋だったころは数々の仕様書をレビューしては「こういう誤字脱字は修正の必要があるけど、指摘しなくても大丈夫だよね?」と確認して作成者に任せるようにしていた。だからレビューポイントは、要件とあっているか、全体との整合性は取れているか、ロジック破たんしていないか、というところが重要と考えていた。

ところで、コンサルタントという仕事は人に対して資料で提案することが主業務である。だから、日本語の言い回し一つで受け取り方が変わってしまう。たとえば、「**で収益を上げるべき」と「**で売上を上げるべき」は基本的に同じことを言っているが、収益は人によって利益を指し、人によって売上を指すので、必ずしも同じ意味にならない。こういう誤解をできる限り排除しなければならない、という事を最近なんとなく理解するようになってきた。最近、まさに上司に「日本語の一文字一文字まで大事にしろ」と言われたばかりでもある。

先日、元大手ファームにいた方と話をしていた時のこと。私が作成した資料についてディスカッションをしていたのだが、彼が妙に細かい点にこだわることに気付いた。
「この形容詞は要らないのでは?」
「『・』の大きさが違うから合わせた方が良い」
等など。
今までの私なら、「大手ファーム出身のくせにつまらないことにこだわる人だな」くらいに失礼な感想を持ってしまったかもしれない。だが、良く考えると、きっと彼は経験的に分かっているのだろう。クリスタライズされた日本語でないと顧客は動かない。逆に言えば、些細な日本語表現の問題で躓いてしまう。

Devils in the detailと言う言葉の意味を知っているからこそ、些細なことが些細と思えなくなる、そんな気がする。俺はまだどうやらよく知らないらしい。

※英語がこれであっているかどうかすら、分からない。

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イノベーションの本質とは何か?

ここのところ、「イノベーション」という言葉を色々なところで見る。
「イノベーション」と言う言葉は、いろいろなところで使われているが、現実に、その意味を正確に理解している人は少ない。かくいう私も正確に理解していない。

と言うのも、そもそも「正確な意味」があるのかどうかも分かりにくい概念だからだ。
だが、ひとつだけ言えるとすれば、「イノベーションとは、今までにない革新的で世の中の役に立つ事をする」、と言う事を指している。
・革新性があること
・世の中の役に立つこと
の二つがそろって初めてイノベーションと呼んでいるケースは多い。少なくとも私はその二点だけは常にイメージしている。

ところで、イノベーションと言うのは起こりにくい。しかも、極めて起こりにくい。更に言えば、イノべーティブな発想をしろ、と言われても困る。そもそも、普通にやってできないから、「イノベーション」なのだ。

今まで、何人かの話を聞くと、イノベーションはどうやら周辺で起こるものらしい。少なくとも、「ど真ん中」では起きないのが当たり前だ。
なぜか?
ど真ん中は「効率を追求する場所」だからである。つまり、既存のルールに則り、それを最も効率よく動かす仕組みが出来上がるのが、いわゆる「ど真ん中」なのである。たとえば、企業でも管理本部の中からは基本的にイノベーションは浮かび上がらない。その企業にとってイノベーティブな事業は、今まで全く日の当たらなかった、しかしなんとなく存続してしまっている事業体からひっそりと生まれ、そしてある日突然スポットライトを浴びるのだ。

さて、イノベーションを起こそう、と言った時に、何をすればよいか?
個人に期待されることと組織に期待されることは違う、というのが最近の私の考えである。まず、個人に「イノベーションを起こす製品を作れ」というリクエストは出来る人とできない人がいる、というのが私の主張だ。特に、優秀な人であるほど、イノベーションは起こしにくい。これは、優秀な人が「ど真ん中」の人だからだ。
正確に言えば、「優秀」という事の定義が、いかに既存のルールに則って成果を上げるか、という事で測られるため、定義によりイノベーションが得意ではないのである。

どういう人がイノベーションを起こせるのか?
既存のルールを(結果的にでも)無視できる人である。ジャンプの幅が大きければ大きいほど、既存のルールからかい離していないといけない。つまり、常識的な人では無理なのだ。

一方、組織ではどうか?組織の場合、どのようにイノベーションを管理するか、が課題になる。まず、イノベーション、と簡単に言うが、そんなものが簡単にできるわけではなく、組織として考える場合には確率論でやるしかない。「起きるか起きないかわからない、だが、たぶん、起きる確率を上げることはできる」というやつだ。コストカットがほぼ確実にできることに対して、売上を上げるのは不確実だ、とはよく言われる。だが、イノベーションはさらに不確実だ。
結局、「イノベーション・マネージャ-」なる人を作るとすれば、その人はイノベーションが生まれるまで我慢し続ける、という事しかない。もう、任せるしかないのだ。
良く、ヒット商品は役員全員が反対したものを押し切って出した、という話を聞く。役員が賛成するようでは「ど真ん中」だし、さらに当然他社も考えてしかるべき商品なので、FirstMoverだったとしても、すぐにキャッチアップされるだろう。
一方、全員が反対すればよいか、と言われるとそうでもないところが難しいところだ。

問題は誰に任せるか、ということだ。優秀な人に任せてはたぶんダメ。だからと言って、力のないものでもダメ。可能であればはねっ返りが良い。

先に、「既存のルールを無視できる人」と書いた。つまり、人と違う価値観が分かる人、という意味だ。恐らく、この人個人ではイノベーションは起きていない。つまり、彼の中では革新性はないのだ。自分が信じている事をただ着々とやっていく、ただ周りと違うだけ。だから、技術的実現性は難しくとも思考のジャンプは簡単、というよりも彼は思考のジャンプをしていない。

という事は、イノベーションをマネージメントする場合、多様な人間を囲っておき、「多様である」という事を理解して我慢するしかないのではないか。
ただ、一つ言えることは、「顧客にとって」あるいは「人類にとって」あるいは「地球にとって」意味のある事をテーマとすべきだ。所謂、本質的ニーズを捉える、というやつだ。それを外していなければ、あとは実現可能性の問題だ。

と最近思っている。
イノベーションに関する話はもう少し何人かの話を聞いてみたいところではある。

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久々にいろいろ聞いてみた

なんとなく聞きたくなって、いろいろ聞いてみた。

JUN SKY WALKER(S)
ZIGGY
BUCK-TICK

うーん、カッコイイ。

ジュンスカは、寺岡呼人がベースで参加しているが、寺岡呼人自身は、「ゆず」のプロデューサーとして有名かもしれない。同じように、UNICORNの阿部Bが氣志團のプロデュースをしていたことにも似ているかもしれない。
ZIGGYは、GLORIAとI'm getting blueが有名だが、それ以外にもカッコイイ曲はいっぱいある。
BUCK-TICKは、うーん。moonlightの頃はカッコいいんだけどな。それでもいま聞くと、空間系エフェクターを使いまくっていてどうにもごまかされ感がある。

というのをなんとなく聞きたくなった今日の夜。

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「先生」と呼ばれることの危険性

私が勝手に「師」と思っている方がいる。と言っても、その方にはかみついたり、反論したり、場合によっては上げ足をとってやろう、くらいに思っているので、余り弟子っぽい感じでもないのだが。
彼は、普段から「先生と呼ぶな」とあらゆる人に言っているようだ。正確には忘れたが、確か、「先生と呼んでしまうと、言う事をすべて鵜呑みにしてしまい思考停止になるからだ」と言うような意味合いだったように思う。また、逆に、「自分自身もそこで思考停止したくない」と言う気持もあるようだ。

最近、「講演」と言うほどの内容でもないが、人前で話す機会があった。自分の中ではまだまだなのだが、ありがたいことに(本当かどうかは知らないが)まずまずの評価を頂いた。
その時に「先生」と呼ばれたわけではないのだが、スピーカーに対する尊敬の念がもしかすると生まれたかもしれない。(全くないようだと、人前で話す私の価値もなくなってしまうのだが・・・。)

褒め言葉は素直にうれしいのだが、一抹の不安を常に感じる。自分の評価とかけられる言葉が違ってくるからだ。話した内容を、たとえば自分の中では、「今回は、まぁ70点くらいかな」と考えていたら、「すごいです。100点!」とか言われてしまう、ようなギャップ。
※「100点」までは褒められていないが、、、、

恐らく、世の中の「先生」と呼ばれている人種の多くはこれに気付かず、あるいは、最初は気付いていたが、いつしか麻痺してしまっているのではないだろうか?
「あなたの言っていることは100点です。」と言われている間にいい気になって、成長が止まる。思考が停止する。

一度止まってしまった思考は、動きだすまでにかなりのパワーがいる。セルのないエンジンをかけるようなものだ。エンジンは常に回していなければいけない、と言う事を第一条件に考えるならば、「先生と呼ばせない」と言うのも一つの選択肢かもしれない。


知識の切り売りで食べていける「コンサルタント先生」になれれば、それはそれで良いのだろうが、自分には全くもって遠い話である。
なんだか、プレッシャーのかかる世の中だな、しかし。

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2009年10月26日の日経朝刊に

日経の企業欄に「経営の視点」と言う記事が載っていた。
「規模の追求、幻想にすぎず」らしい。

その中で、A・T・カーニーの後藤治パートナーが「規模の追求が利益をもたらすというのは幻想に過ぎない」と書いている。

勿論、それはその通りなのが、その裏にある考え方まで聞きたいところではある。

結局、小売店の基本は、より良い商品を消費者の手元に届ける、ここに最大の付加価値があるわけで、当然、コストの観点は重要だが、単純にコストだけでもないよね、と言う論調だ。

成熟した日本と言う環境の中で、今後の様々な業界がどう移り変わっていくのか、楽しみ、と言うよりもちょっと怖いかもしれないな。

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黒スグリ

先日、友人と「黒スグリ」について話した。
「黒スグリ」ってなんだっけ?そんなもん知らねーよ、的な話だ。

その時、私は「え?ブラックベリーの事でしょ?」と今にして思えば明らかに間違っている回答をしたので、wiki先生に聞いてみた。

黒スグリ:カシスの事。
ブラックベリー:ブラックベリーはブラックベリー。

カシス(フランス語、日本語では黒スグリ。学術分類上は「ユキノシタ科スグリ属フサスグリ亜種」。)は、カシスソーダや、カシスオレンジなど、角輝に使われるリキュール、Creme de Cassis(クレーム・ド・カシス)で有名だ。カシスも生で食べるものかと思っていたが、ベリー系のものとは違い、苦味があるため、生で食べるのには適さないようだ。だから、リキュールやジャムなどが主流。
ブルーベリーで有名になったポリフェノールの一種「アントシアニン」が豊富に含まれており、目にも良いという。

Googleで検索して初めて知ったのだが、日本カシス協会というものがあり、そこでも情報提供されている。HPを訪れるとゆるキャラ「カシスン」が迎えてくれる。(ベリーじゃないと言っているのに、「王族 ベリー家の王」と言う設定はどうかと思うが、、、)

カシスそのものについて知るのであれば、正しいかどうかは分からない物の、wikiの方が充実している。

ブラックベリーの方は、たまにケーキ類にのっているが、そのものを楽しむ、と言うよりも飾りとしての意味付けの方が大きいように思う。

いずれにしても、知識は正確に覚えたいものだ、と改めて思った。

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才能

人間だれしも、ひとつぐらい「他の人には負けない才能がある」と考えてみる。たとえば、足が速い、とか、歌がうまい、とか。
その程度だと、「人間だれしも」ではなくなってしまうので、きっともっと細かく分けられるのだろう。たとえば、「距離3.5mからゴミを投げてゴミ箱に入れる才能」とか、「スーパーで買った食材から常に80点の味の生姜焼きをつくる才能」とか。

マルコム・グラッドウェルによると、才能の開花は環境が大きく影響する。この考え方は、人間だれしも鍛えれば平均を大きく凌駕した能力を示すことが可能な才能が幾つかはある、ということを期待した考え方だ。そして、その才能と言うのは、正しく鍛えれば必ず世の中の役に立つ、と言う事が暗黙の前提になっているだろう。

いずれにしても、その才能が何かを見極めなければ使い物にならない、という悲しい現実が待っている。
「才能とは天に与えられるもので、ほっといても具現化する」と言う考え方も無いわけではないが、その考え方の問題点は、人間の努力を失わせる点だ。つまり、「俺には才能はないからやってもしょうがない」とはなからチャレンジしなくなる。もしかすると、チャレンジしたら物凄い才能が開花するのに、だ。
一方で、「為せば成る、為さねば成らぬ何事も」と才能のない分野にチャレンジし続けて無駄な人生を過ごした人もいるだろう。大きな目で見れば、真の意味での「ムダ」ではないのかもしれないが、少なくとももっと自分が生きる分野の能力を伸ばさなかった、と言う点では時間を無駄にした、と言えるかもしれない。

結局、今「他者には負けない才能」を持っていない身としては、どんな前提を置こうとも、今ないものはない。だとすれば、ほっといても具現化する、と考えるより、自分で切り開くものである、と考えた方が精神衛生上良いに決まっている。

才能の開花とは、「雨が降るまで雨乞いをする」と言う理論に似ているが、要するに雨が降ればいいのだ。

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意思決定とは何か?

多分、多くのビジネス書で取り上げられ、多くの場合「捨てることだ」と言う結論になっている「意思決定」。
意思決定とは、何かを決めることであるが、難しいことになかなか決められない。だから、ビジネス書で多く取り上げられるのだろうと思う。

「意思決定」と「戦略」とは、かなり近い概念のような気がする。どちらも、「やることを決め、やらないことを決める」のだ。意思決定と言う日本語が持つ意味はもう少し広いはずだが、通常ビジネスで意思決定、と言うとGo/No Goがメインであり、その場合もどの戦略を選択するか、と言うことが多い。

一方で、判断と意思決定は違う、ともたまに言われる話だ。わかっていることに対して何かを「決める」必要はない。論理的に常識的に考えると普通こうだよね、と言うような事を「意思決定」とは呼ばないのだ。たとえば、商品AとBがあったとする。AとBは全く同じ条件の商品で価格だけが違いAの方が安い、と言う事が分かっているとする。その場合は意思決定などせずともどちらかを購入しなければならない場合、Aを購入する。なぜ意思決定を必要としないかと言うと、どちらが適しているかが分かっているからだ。

意思決定が本当に必要なのは「わからないとき」である。
例えば、将来市場が拡大するかどうか良く分からない。そのとき、投資申請に対して、Goか、No Goか。逆に、将来市場が拡大することが分かっていて、キャッシュも潤沢にあり、他に投資先がない場合、意思決定の必要はないのだ。明らかにGoだ。

と言うわけで、多くのビジネスパーソンが困っているという、私も日々困り続けているという「意思決定力」の話。もうギリギリになってしまったので、席数がどの程度あるか、実はないのかも良く分からないのだが。

■■■家弓正彦の仕事塾「意思決定力」■■■
昨今、「ポータブルスキル」と呼ばれる「どんな業種でも、どんな職種であっても、ビジネスパーソンとして基本的に必要とされるスキル」の必要性が注目されています。今まで同様、本講座でも様々なビジネスパーソンに必要な汎用的なスキルをご提供していきます。

家弓正彦の仕事塾シリーズ第9回目は「意思決定力」をテーマに致します。意思決定力と聞くと、経営トップの能力と受け取る方もいらっしゃるかもしれませんが、どんな方でも1つ1つの意思決定をされていて、その意思決定がその後の成否を左右していると思います。

家弓正彦が20年間のコンサルタント歴から培った経験をノウハウ化してお伝えしますので、本講座を受けて、意思決定力を磨き、皆様のビジネスの成功率をあげていただきたいと思います。

http://www.cyber-synapse.com/mkay/091027/?pl=510

日時
10月27日(火) 19時~20時30分
or
11月17日(火) 19時~20時30分

料金
2,000円(税込み)

※本講座は全1回講座です。両日とも同一の内容です。
 ご都合のよい日程をお申込みください

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あの素晴らしい曲をもう一度

加藤和彦氏が亡くなった。軽井沢のホテルでの事らしい。
そのニュースをネットで見た時、「花のかおり」が頭の中を流れた。イメージの想起とはどうやらそういうものらしい。

加藤和彦と言えば、世代によってはザ・フォーククルセダーズだろうし、サディスティックミカバンドだろう。作曲家として、さまざまな人に楽曲を提供している事でも有名だ。

約40年前、学生時代に結成したザ・フォーククルセダーズで一世を風靡し、その後様々な名曲を生み出した。

ある意味で、才能が生み出す作品は確率論だ。私のような凡人は、本当に良いかどうかを評価できるべくもなく、あるのは、「自分が好きか」と言う評価軸だけだ。その観点で言うと、私が望む作品が出会える局数はは、
[(1)才能が作品を生み出す数]×[(2)世に出る確率]×[(3)私が好きな確率]
と分解できる。このうち、過去の経験や、彼の地位から、(1)、(2)ともに大きいはずだ。また、今までの曲調から考えると、どうやら(3)は高いようなのだ。

亡くなった理由はともかく、彼の才能によって生み出された曲が、俺の心に響いたことも何度もある。人はいつか亡くなるし、新しい才能も出てくる、と言う事も分かる。わかるが、今後、「加藤和彦」の曲が出てこなくなる、と言う事に一抹のさみしさを感じる。
それは、不謹慎と言われるかもしれないが、私が素晴らしい曲に出会える確率が減った、と言う事から来ているのだろうと思う。

ご冥福をお祈りします。

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挫けてからかなり経つ

挫けた話、正確に言えば、くじいた話はすでに述べた

実は、まだ治っていない。トンカツを食べたにも関わらず、だ。

未だにひねると痛いし、少し腫れてもいる。
まぁ、かといって、日常生活に支障があるわけではないのだが。

骨にひびが入っている、とかと言うことではないとも思うので、ほっとくしかないのだろうが、しかしながら、痛いものは痛い。困ったものだ。

こういう怪我はやはり長期化するものなのだろうか。悩ましい。

これでは、岡田ジャパンに呼ばれないじゃないか。

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